<解説>

"飲酒"という題であるが、酒を飲む自体ではなく、酒を飲んで、酔い心地の中に浮かんできた物思いを歌った詩。20首の連作の第5首で、最も有名である。

粗末な家を人里に建てたが、訪問してくる馬車の騒がしい響きはしない。君は、どうしてそうなのかわかるかね。心が俗事から遠ざかっていると、住居もおのずと片田舎も同然となるのだよ。

この中に、真理が存在するのだが、それを語ろうとすると、はや、ことばを忘れてしまった。

車馬は馬車、馬車に乗る有力者たち。馬車に乗って訪ねてくる人がいないから、「車馬の喧し」いのが無い。

悠然はゆったりと落ち着いていること、また遠く遙かなこと、悠然としているのは、作者でもあり、山でもある。作者は、見てやろうなどという構えなしに、ゆったりと、はるかに山を眺め、山は、遙かかなたにゆったりそびえる。山と自分とが一体になっているのである。南山は、江西省の廬山とされている。作者の故郷から近い。南山は、詩の中では、人間世界を離れた理想境というニュアンスを持って、用いられることが多い。日夕は夕暮れ。飛鳥は、詩の中では、自由を象徴している。

此の中は、特定のものの中ではなく、作者自身と、作者を取り巻くあらゆるもの、菊や南山や、夕暮れや飛鳥などをひっくるめた、作者と自然とが一体となった中である。

夏目漱石の「草枕」の巻頭に、東洋人の理想の境地を示す詩として引用されているので有名。今日では、戦乱の世に生きた陶淵明の心境は、この詩に歌われるほど単純ではなかったとされたいるが、彼自身で追求した、理想の境地を歌っていることは確かである。

筑摩書房「唐詩の世界」(入江仙介著)より引用